ねるこの寝言「私は村をつくると決めた」

私は自由に生きると決めた 自然に還る居場所を 一万円から始める村作り

「当たり前のことができない天才はただのクズだ」

「ねるこちゃんは、さあ、たまにすごい自虐してるよね」

と友人のお姉さまに言われた。

 

彼女はビジネスを始めるために、同じマインド塾に入っていたお姉さま。

 

「そうですか?あんまり自覚ないんですけど・・・」

私の自虐っていうのは、だいたい「厳しい現実」であり

真実だと思って口にしてるだけなので、あまり自虐だと思っていない。

 

周りと自分とを比較して

客観的に自分を見ていると

自分には秀でた能力がいくつかあることに気づいた。

 

分析力、人間観察力、深い感情の揺れを読み取る感受性、

まあ他いろいろちょっと特殊な感覚かもしれない。

ネガティブゆえに身につけたところもある。

 

部分的にずば抜けている。

しかし、

その分「当たり前」が本当にできない。

 

残念すぎるほど短期記憶が乏しい。病的レベルに。

即時的に物が覚えられない。

一夜漬け?絶対無理。

みんなが一瞬勉強しただけで解ける小テストとか

本当に点数が取れなかった。

 

数秒で名前を忘れたり、話聞いてるはなから忘れる。

相手が何を求めているのか、いわゆる「空気を読む」もできない。

と言うかできなかった。

 

できないが、ある程度生活パターンの中、人間観察を行うと

「ああ、こういう時は普通こういうのね」

「人間ってこういう風に行動するのね」

「これは社会では言っちゃだめなこと」

「本当のことは言わない方がいいらしい」とわかるようになり

社会における、身の振る舞いの「正解」は理解できるようになったけど、

正直その感覚はわかっていない。

だからちょいちょいミスる。

 

話すときも、思考が複雑すぎるために

無駄に解説が長くなってしまったりくどくなってしまうこともある。

だから普通の人に伝わりにくい会話になってしまうことがある。

 

みんなが「当たり前」にできることが

絶望的にできないのだ。

ナルコレプシーもあったりしたので

日中に起きるというあたりまえのことも本当にできなかった。

 

だから、

たとえ秀でた能力を持っていようと、

仮に何かの分野で天才だったとしようとも

「社会の中」で生きようと思うと

社会にとっての「あたりまえ」ができなければ

ただのクズになる。そう言われてしまうのだ。

 

その事実に気付いた時

なんかよくわかんないけど、面白くなってしまった。

「私はどこか秀でた才能があるのかもしれないけれど。。。

正直その能力も今は使いこなせていません。

どうやって使うかわかってないかもしれません。

秀でた能力があっても使えてない、

その上当たり前のことができないときたら

私ただのクズじゃないですか!」

文章に起こすとだいぶ自虐してたと気づく。

ただ、事実なので、いってる本人は爆笑。

 

基本的に清々しい笑顔で自虐してしまうようなので、

それを聞いた相手もすごい爆笑してしまう。笑

 

「ねるちゃん、いつもさぁ、

はちきれんばかりの笑顔で自虐してるから。

そんな笑顔見せられたら、塾長だって笑うしかなくなるよ」

そんな風に言われた。

 

そんなに笑顔で自虐してたのかな?

 

まあ、一歩引くと

自分の失敗も、マイナス面も

なんかものすごく笑えてきちゃうわけなのです。

 

そんな人間なわけです。